美術専門業界ではよく聞く絵画の「修復」。 実際、具体的にはどんな技法が使われているのでしょうか。
本稿ではその技術と必要性について、修復の歴史を遡りながらご紹介していきたいと思います! 「修復」と聞くと職人技のような技術がイメージされるかも知れませんが、最新の修復は凄いことになっているんです。
Table of Contents
修復の技術の歴史
これまでの何千年という長い歴史の中、芸術作品はどのような修復技術によって後世に受け継がれて来たのでしょうか。修復の歴史が長いヨーロッパに着目し、現世に至るまで絵画や芸術作品の保存や修復がどの様に行われてきたのか、実例を参考に具体的な修復を取り上げていきます。
修復において重要なことは?
美術品の修復の処置は、これまでの歴史背景と技術、また後世に引き継ぐという面でとても重大な責任を背負っています。
そこで修復の大前提として、最新技術を常に取り入れ、修復前の状態に戻せる状態に出来るよう心掛けながら作業する必要があります。 つまり作品のオリジナルの部分とそこに手を加えた修復部分の『差異』を明確に把握することが重要なのです。
ではそんな長い歴史の中で、どんな修復事例があるのでしょうか。
『最後の晩餐』の修復
1726年、実はあの「最後の晩餐」を最初に修復したのは、巨匠ミケランジェロでした。
当時彼はこの絵が油絵具の作品と判断し、表面を強い溶剤を使用した洗浄をさせ、落ちてしまった部分を油絵具で描き足す修復方法をしていました。そして仕上げとして全体を二スで覆い保護する、という工程を実施しています。
しかしその後、これでは長期的な保存が出来ないことが分かり、歴代の様々な修復師や画家による復元が施されます。 そんな中で宗教戦争や第二次世界大戦といった過酷な状況に晒され続けてきました。
最後の修復は、1978年から1999年と最も長期にわたるもので、修復専門の名高いアーティストによる最新技術を駆使した修復によって完成しました。
当時の最先端を駆使した修復
この修復技術は、まず先に絵画を補強した上で汚染による損傷を回復させ、これまでに施された油絵具等の修復を取り去るところから始めました。
次に最新技術を駆使し、反射鏡や顕微鏡でのコア試料などの科学鑑定を行って絵画の原型を判定。 ここでの判定により、上塗りされた絵の具がダ・ヴィンチの使った元の絵の具を侵食・絵具を剥落させているとされた部分は、ダ・ヴィンチの絵の具をもろとも剥がして修復しました。
このような長い過程を踏み、ようやく今日私たちが見る事の出来る「最後の晩餐」の修復が成功したのです。
後世に受け継がれる芸術品は、これまで様々な歴史や時代背景の中で守られてきたことで、現代の私達が観ることが出来ます。 修復において『保存をする』ということは、文化的資産を未来の世代のために守ることをも意味します。 時の経過とともに劣化しないよう管理をしなければ、私たちの子孫が作品の美しさに触れることは出来ないでしょう。
“芸術作品のドクター”修復師 その技術とは?
続いて現代の修復技術について、詳しくご紹介してきます。
劣化の原因
そもそも何故、劣化するのでしょうか?大体の原因は、おおよそ日々の継続的な変動にあります。
乾燥した土地のヨーロッパに比べると、特に日本では四季の温度変化や湿度による劣化が見られます。劣化の大まかな目印としては、絵画の場合はキャンバスの表面のひび割れ、めくれ落ち、張りの衰え等が考えられます。 その他にも、木枠・木材の傷みや歪み、場合によっては虫害を受けやすくなることもあります。 また、画面をコートしているニス自体が黄色に変色したりします。
このように専門的な保管をしない限り、作品の劣化は必ず発生する環境下にあるのです。
修復の流れ
では、どんな修復技術があるのでしょうか。 一般的な修復の流れをご紹介します。
最新技術を駆使した調査と修復計画の検討
まず、現状がどういう状態なのかを明確に調査の上に記録し、どのような工程で修復をするのか計画書を作成します。
洗浄
長い年月で積み重なった汚れを落とす作業です。
浮き上がり接着
剥落(はくらく)という、画面の表面が亀裂等によりキャンバスから絵の具層が剥がれていく現象が発生することがあります。その際、顕微鏡を使用し、浮いている絵の具を貼り付けていく剥離止めと呼ばれる作業を実施します。
変形修正
画面の変形(凹凸)には、上記の説明の通り、絵具やその下地剤等の亀裂や割れによって生じる変形や、キャンバス布や型枠などの支持体の伸縮が原因で生じる変形などがあります。 これらの変形を修正するには、加湿、加温、加圧し、伸縮性を利用した方法を用います。
また、ルースライニング処置といって、作品裏側面の支持体の厚みが薄かったり、劣化・損傷による強度が不足している場合、裏打といって接着剤を使用せず、あらかじめ張った布の上に作品を袋張りをするという専門技法があります。 この作業によって、作品移動の際の振動なども緩和されます。
充填整形
補彩を行う前に、絵具の剥落部分に充填剤(着色等の為に使用する化学物質)を充填し、周囲の絵肌に合わせ充填部分を整形します。 伝統的に、主に使用するのは、ボローニャ石膏(天然石膏の一つ)を膠(にかわ)で溶いた充填剤であり、この充填剤は、古くから板絵の地塗りに使用されてきました。
補彩
充填整形をした部分に、水彩絵具や修復用の溶剤型樹脂絵具を用いて補彩をします。
殺菌防黴(ぼうばい)
画面や支持体裏面に発生したカビや微生物、また、それらが原因で生じた損傷部が認められた場合は、洗浄によって除去した後、殺菌防黴剤を塗布することがあります。
ワニス塗布
画面保護のために、必要に応じてワニスを塗布します。
額装
破損は絵画作品に限らず額縁にも及んでいることが多く、汚れ、黴、剥落等で絵画と同様の状態に陥っていることがあります。これらを作品と平行して修復していきます。修復した作品が安全な形で額縁に固定されるよう、固定材料や裏板、アクリル板などを調整することも重要な作業です。
以上のようになかなか複雑な工程をたどり、職人技と言えるほどのレベルではありますが、現代の修復技術においては、データ化による分析という手段があります。
絵画修復用のデータ化サービス
従来職人のみの世界だった絵画の修復は、そうしたテクノロジーの発展により身近なものとなりつつあります。
そのままスキャンで使用しているアートスキャナー WideTek®25 ARTは、独自の3D配光など作品の『質感』ごとデータ化するために必要な機能が豊富に揃っている最新鋭の絵画専用スキャナーです。実際に現役アーティストの方も多数利用されており、原画の質感を忠実に再現出来ることから純粋な保存~ジクレー印刷まで幅広い領域でニーズがあります。
依然として完全に自力で絵画の修復を行うのは困難ですが、上記紹介した修復作業を行う上でオリジナルの姿を高精細に残した作品画像は非常に有用です。そのままスキャンのアートスキャナーで将来の為に作品を撮影してみてはいかがでしょうか。
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未来の修復 新しい技術と伝承
未来の後世に備え、作品をデータ化した参考資料を保存、アーカイブすることで、後の未来の修復時に大きな参考文献になるといったことが可能となっています。つづいては、これからの未来の修復を予感させる最新の修復を紹介します。
AIによるモネの修復
世界でも例がない人工知能による推定復元、修復作業を通じてこれからの修復を予感させる事例となったのは、昨年2019年、東京の国立西洋美術館にて公開された、モネの幻の作品と言われる「睡蓮、柳の反映」。これまでに無い新たな修復方法が、従来の修復に加えて実施されました。
19世紀後半にフランスで活躍した印象派の巨匠の代表、クロード・モネの作品。モネが人生の集大成として、60代の頃から制作に取り組んだ300点以上に渡る睡蓮シリーズの一部ではないかと言われる幻の作品です。
2018年の6月から、修復を実施した国立西洋美術はこれまでの長年の経験を生かした従来の修復に加え、自然科学的調査と国内外の美術館からモネの作品を撮影・調査、さらに筑波大学の協力によって開発したAI技術による色彩推定結果を踏まえ、欠損部分をデジタル推定により、復元しました。
AIという前代未聞の技術を使用した背景には、カビによる浸食でこの作品の上部分の大半が破損し、失われた状態だった為です。
破損の原因を辿る
この大きな破損の背景から簡単に説明をしましょう。
まず、この度日本の西洋美術館での保管になった背景としては、当時、日本の実業家の松方幸次郎がモネを訪れ、なんと直接作品を譲られたという経緯があります。
本来、この作品はフランスのオランジェリー美術館に飾られるべき大作品といわれている傑作でした。しかしその後、フランスにも第二次世界大戦の戦禍が。松方幸次郎はパリ郊外へ逃れます。そこで作品を保管をしましたが、湿気が多く、そこからカビが発生しダメージが深刻化する状態となっていったのです。
結果、木枠もなくなり、キャンバスの上半分が欠失され、絵具の残存部は全体の半分のみとなりました。何が描かれているのか分からない程の状態になり、深刻な損傷を受けることになりました。
その後時が経ち、ようやくこの作品が再びパリに戻った時には、既に絵としての価値がないと判断され、美術館の中では保管されるものの、忘れ去られていました。
最新修復のはじまり
ルーヴル美術館内で再発見されたのは2016年9月。そこから調査を行った結果、松方コレクションであることが判明し、翌年松方家から国立西洋美術館に寄贈され、同年12月に美術館に到着する経緯を辿りました。
ここからようやく修復プロジェクトが始動します。
大まかな方法ですが、まずは絵具の残っている下半分をこれまでの手作業による方法で修復。次に、失われた上半分について4億画素数というスペックのカメラで撮影し、筑波大学人工知能科学センターのAIでデジタル復元を行います。
今回の修復の分析には、1925年頃にフランスで撮影された白黒のネガが重要な参考資料として使われました。これはフランス文部省・建築文化財メディアテークが所蔵する本作の白黒写真であり、その撮影原版にあたるガラス乾板から、高精細にスキャンされたデータを入手し、高精細スキャンデータと作品の現存部分を比較することが可能となったのです。
ここから当時の撮影環境なども推定することで、白黒写真から得られる色彩情報の精度を高められたのです。
そしてここでようやく、劣化し失われた部分の絵の全体像が明らかになりました。このネガをデータ化し、現在の修復中の作品と合成する作業へと繋がっていきます。
AI×絵画修復
この世界初の試みとなるデジタル修復については、失われた色が定かではない劣化部分に、色を判定し推定するAI技術を使用しています。
これは、初期から晩年までモネが使用していた色使いを人工知能に330万回以上の情報を機械学習をさせるというAIの推定判定となります。AIがモネのさまざまな作品の彩色パターンを学習し、「睡蓮、柳の反映」の一部の色彩情報と合わせて全体の色彩を推定する仕組みを実現したのです。
従来の人による推定をAI技術による推定で検証することで、客観性を高めることが可能になったという発見もありました。再現される作品はAIの学習データの影響を受けるため、完全なオリジナル作品を生み出すのは困難と想定されますが、今回のように巨匠などの作風の再現が必要な絵画の修復への利用は今後にも増えていくと予想されています。
その他科学調査の修復では、放射線を絵の表面に当て、絵具に使われている物質を詳細に特定していく作業を行います。クロム、カルシウム、酸化亜鉛等の物質を特定することで、モネがどんな色をどのように使用したか推測することが出来ます。絵具の破片も直接光学顕微鏡で調査し推測していきます。例えば、0.4ミリの層に7つの色が地層のように重なることで、独特の色彩に深みを持たせていることなどが判明しました。
更に、筆使いについても筆致をデータ化して取り込むことで、モネの独特の筆使いのリズムと生き生きとしたストロークを分析することが出来ます。
まとめ
いかがでしたでしょうか。修復とは、在るものを現状で良い状態に留め、そこから作品を観る人の想像の手がかりへといざないます。
歴史に残る芸術作品を、これまでの長年積み重ねた修復技術と、データ化や人工知能による新しい修復技術によって、芸術文化を後世へと築いていく未来が予想されます。 また今回紹介したAIによる客観的推定の色彩鑑定等が、新たな修復調査の担い手となり、文化財の保存業界のサポート役となるのではないでしょうか。