ガラス(写真)乾板をご存知でしょうか。簡単に言えば、フィルムではなくガラス板に画像が写っている写真のことです。
研究室や書庫に眠っていることの多いガラス乾板は、非常に貴重な資料です。しかし、知らない人からするとどうやって扱えばいいか分からず、下手に触ると割ってしまいそうで怖いですよね。
今回は、このガラス乾板とはどんなものなのか、そしてどうやって保存していけばいいのかを詳しくご説明します。
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ガラス乾板(写真乾板)とは?
今では日常的にほとんど目にすることのないガラス乾板。でも実は、世界でも日本でもフィルム写真より長く使用されてきた歴史があるものなのです。まずはその構造や歴史について見ていきましょう。
ガラス乾板の構造
ガラス乾板は、その名の通り無色透明の平らなガラス板に、写真感光材を塗布したものです。写真乾板、または乾板と呼ばれることもあります。
なぜ乾板というのか。乾板が登場する前の写真撮影術としては、19世紀半ばにイギリスで発明された、コロジオン湿板法という方法が主流でした。感光板を薬品で濡れた状態で撮影するこのコロジオン湿板法に対し、ガラス乾板は乾いた状態で撮影することができたため乾板と呼ばれたのです。
ガラス乾板の構造を説明すると、ゼラチンを媒体として臭化銀の感光乳剤がガラス板に塗布されています。ちなみに、この支持体がガラス板からセルロイド素材のシートに変わったものが、私たちのよく知る写真フィルムです。
つまり構造自体はガラス乾板も写真フィルムも大きな違いがないのです。
ガラス乾板の歴史
ガラス乾板の歴史を振り返ると、19世紀末に実用化され、ヨーロッパで広く使用されるようになりました。
ガラス乾板が登場するまで主流だった湿板は、撮影をするためにカメラやレンズだけでなく、薬品や暗室など様々なものが必要であり、また撮影の直前に感光板を撮影者が自分で製作して、濡れた状態で撮影しなければならなかったため、非常に熟練した技術と知識が必要でした。この不便さを解消したのが、ゼラチン乳剤によるガラス乾板だったのです。
1871年にイギリスのリチャード・リーチ・マドックスという人物が、ゼラチンを媒体として臭化銀乳剤をガラス板に塗布した乾板を発表したのを皮切りに、1870年代に次々と改良が加えられていきました。
臭化銀ゼラチン乳剤は、感光度が非常に高いため、それまでの湿板写真が撮影に十数秒かかっていたのに対し、乾板では25分の1秒程度の露光時間での撮影が可能になり、一気に撮影の可能性が広がりました。
1870年代後半のイギリスでは、リヴァプール乾板・印画会社、モーソン&スワン、ラッテン&ウェインライト、サミュエル・フライ社の4社を皮切りに、数多くの乾板製造会社が次々と登場しました。こうして乳剤や感光板の製造は撮影者個人が行うものではなく、工場で大規模に行われるものに変化したのです。ガラス乾板の製造は、ベルギーやフランス、ドイツ、アメリカへと広まっていきました。アメリカで1881年に創業したイートマン乾板会社は、その後コダック社となって20世紀の写真界を支える世界的なメーカーへと発展していきます。
日本に先に伝わったのは、湿板写真の方でした。江戸時代、安政年間の初め頃、つまりペリーが来航した頃に日本に初めて湿板撮影の技術が渡来したと言われています。
ガラス乾板の技術が日本に紹介されたのは、明治10年代半ば頃です。長崎の職業写真家であった上野彦馬がロシア海軍の士官から乾板を入手して撮影したのが始まりだと言われています。明治10年代後半には、小西本店、浅沼商会、桑田商会などの日本の写真材料商が外国製のガラス乾板を輸入するようになりました。こうして日本でも明治20年代には、写真は湿板写真ではなくガラス乾板が主に用いられるようになっていったのです。
日本国内で安定してガラス乾板が製造されるようになるのは、大正時代に入ってからです。東洋乾板やオリエンタル写真工業といった会社が、乾板の製造に成功しました。そして国産のガラス乾板が主流になるのは、ようやく昭和時代に入ってからです。
ガラス乾板の普及によって、日本でも撮影方法は大きく変化していきました。災害や戦争も現地で記録できるようになり、また産業や学術の分野でも幅広く活用されるようになりました。そして撮影が湿板写真に比べて容易であったため、職業写真家ではない写真愛好家の数が急激に増加したのです。
その後、ガラス乾板に変わるものとして写真フィルムが登場し、さらにロールフィルムの登場によって、何枚も写真を連続して撮影することが可能になります。これによってさらに写真撮影の大衆化が進むのですが、それでも職業写真家はガラス乾板を使用しました。それはガラス乾板の安定性がフィルムよりも勝っていたためです。
写真を職業とする人たちの間では、明治20年代から戦後の昭和30年代までのおよそ70年から80年もの間、ガラス乾板が使われてきました。こうした歴史を見る限り、ガラス乾板はフィルム写真やデジタル写真と比べても、もっとも長期間用いられてきた記録メディアと言えるでしょう。
そしてガラス乾板は、いまではその貴重性が認識され、国の重要文化財として指定される対象にもなりました。近年では次のようなガラス乾板がその価値を認められ、国重要文化財に指定されています。
- 琉球芸術調査写真(2005年)
- 法隆寺金堂壁画写真ガラス原板(2015年)
- 東京国立博物館所蔵臨時全国宝物調査関係資料(2016年)
ガラス乾板の種類
日本で用いられていたガラス乾板は、寸法によって次のように名称が分かれます。
- 101×126mm 4×5(シノゴ)
- 119×165mm カビネ(キャビネ)
- 164×214mm 八切
- 252×303mm 四切
- 354×430mm 半切
- 455×557mm 全紙
ただし古いガラス乾板の中には人の手で切り出したたために、この寸法に合致しないものもあります。
ガラス乾板の活用シーンは?
ガラス乾板の大きな特徴は、フィルムと比べて形状が非常に安定していることです。具体的に言うと、支持体がガラス板であるため、フィルムよりも平面性が高く、温度・湿度・経年による伸縮が小さいという点が大きな長所です。
そのため、乾板に代わるものとして写真フィルムが広まってきてからも、学術や医療の分野ではガラス乾板の方が重宝されてきました。また官公庁の行政文書にもガラス乾板は数多く含まれています。
それでは参考までに、数多くのガラス乾板を所有し、その活用を積極的に行っている機関の例として、東京大学史料編纂所と奈良国立博物館をご紹介します。
東京大学史料編纂所
日本史の貴重な史料を集め、研究し、史料集として編纂・刊行することを目的としている東京大学史料編纂所は、非常に数多くのガラス乾板を保有しています。
その理由は、東京大学史料編纂所が設立して間もない明治時代後半から、ガラス乾板によって全国各地の貴重な史料を複製し保存してきたからです。史料編纂所のガラス乾板による調査史料の複製は1960年代にマイクロフィルムを用いるようになるまで続けられ、なんと約2万枚のガラス乾板を蓄積する結果となったということです。
そして1997年に史料編纂所の附属施設として画像史料解析センターが発足し、古写真研究プロジェクトが開始されたことで、この膨大なガラス乾板を保存・研究する本格的な取り組みが始まりました。
現在は、この東京大学史料編纂所が日本のガラス乾板の保存活用をリードしていると言えるでしょう。具体的な保存の仕方、クリーニング方法、デジタル化やデータベース構築に関してなど積極的に情報発信を行っています。
奈良国立博物館
奈良国立博物館は主に仏教関係の歴史史料や美術品などの文化財を、収集、研究し展示公開している博物館です。1895年の開館以来、所蔵する文化財や展覧会で借用した作品などを撮影したほか、文化財の修理記録も撮影して残しています。また社寺の調査、発掘風景などもガラス乾板によって記録しています。
こうして奈良国立博物館には現在約7000枚におよぶガラス乾板が保管されているのです。
奈良国立博物館では、ガラス乾板一枚一枚を台帳に記録し、それと同時に順次電子化を進めているところです。台帳には、撮影内容の他、ガラスの状態、サイズ、電子化の有無、電子化した場合はそのファイル名などを記載しています。
電子化は、館内でデジタルカメラを用いてガラス乾板の撮影を行う他、業者に委託してスキャナーによる電子化も行っています。ガラス乾板の電子化を進め、そのデータを情報公開という形で有効に活用している好例と言えます。
何故、今はあまり目にしないのか
先ほど「ガラス乾板の大きなメリットは、フィルムと比べて形状が非常に安定していること」と言いました。それではガラス乾板はなぜ使われなくなってしまったのでしょうか。
最も大きな理由は、ガラス板という素材が重く、割れやすいため取扱いが難しいという点にありました。
ガラス乾板は、厚みのあるガラス板を支持体としているため、一枚一枚に重みがあり、数枚まとめて箱に入れると相当な重量になります。湿板に比べて撮影が容易になったとは言っても、この重さでは気軽に外へ持っていって撮影するというわけにはいきませんよね。そしてガラスなので、扱う人の不注意によって欠けたり割れてしまうということが多々ありました。
ガラスは硬く平面性があるので、長い時間が経っても変形は起きないという利点がありますが、割れてしまっては撮影情報を読み取ることすらできなくなります。また、ガラス乾板を緩衝材をいれずに重ね合わせてしまうと、ガラス同士が擦れて傷がつき、やはり読み取りが困難になることもありました。特に乳剤面同士が触れるように重ねてしまうと、膜面がはがれて画像が消えてしまうのです。
こうした不便さを解消したのが、支持体にセルロイドを用いた写真フィルムでした。軽く柔らかいセルロイド素材によって、ロールフィルムという形状も登場しました。イートマン・コダック社が1889年に発売したこのロールフィルムは、何枚も連続して撮影することを可能にして、持ち運びも簡単だったため、写真撮影はより気軽に行えるものになり、一気にアマチュア写真家の数が増える結果となりました。
その他にもガラス乾板のデメリットとしては、経年劣化がありました。ガラス乾板は、保管状態にもよりますが、時間が経つと、ガラスの表面が銀色に変色する「銀鏡」や、玉虫色になる「虹彩」と呼ばれるような劣化現象が起きることがあります。いずれも画像面の銀が変化して、画像の一部が見えにくくなる現象です。また画像が退色したり黄変したりすることもあります。こうした現象は、主に酸化によって引き起こされるものです。
またガラス乾板に塗布されている感光乳剤のゼラチンはカビの恰好の栄養源となるため、相対湿度65%以上の高湿な保存環境に置いておくと、比較的簡単に画像面にカビが発生します。そしてそのまま症状が進行するとカビの浸食によって画像が消えてしまうのです。
こうした経年劣化は、ガラス乾板に限らずフィルムでも同様に起きることなのですが、重くかさばるガラス乾板は、状態をこまめにチェックすることが現実的に難しいため、劣化症状が進行するのに気づきにくいという問題もありました。
こうした保存の難しさのために、ガラス乾板は写真フィルム、そしてデジタル写真へと置き換えられていったのです。
ガラス乾板の取り扱いと保存の方法
それでは今に残る貴重なガラス乾板はどのように取り扱い、保存すればいいのでしょうか。
保存方法
ガラス乾板を保存する時に気をつけなければいけないのが、温度、湿度です。
日本工業規格(JIS)が定めた「写真―現像処理済み写真乾板―保存方法」(JIS規格番号 K 7644)を参考に、ガラス乾板の保存環境をご説明します。
まず、10年以上の中期保存を目指す場合は、
- 温度は20℃以下が望ましく、25℃を超えることがあってはならない。
- 相対湿度は50%を超えてはならない。湿度の変動があったとしても24時間以内に±10 %までとする。
という条件を満たすことが求められます。
そして、より長期間にわたって画像情報を残すためには、- 温度は18℃を超えてはならない。
- 相対湿度は30%から40%の範囲内におさめなければならない。
という低温低湿の保存環境が必要になります。専門機関以外で、この保存環境を実現できるところは少ないかもしれませんね。
さらに言えばガラス乾板は一枚ずつ、畳紙で包んだうえで保存箱に収納することが理想的です。畳紙、保存箱とも中性紙製である必要があります。酸性の素材は変色をまねく恐れがあるからです。
またガラス乾板は素材がガラスであるため当然ですが紙のように軽くありません。そのため、ある程度まとまった数がある場合は、保管する棚はしっかりとした造りの、重量物に耐性のあるスチール製キャビネットにすることが望ましいです。それだけではなく、ガラス乾板は落下することが致命的な破損につながるため、落下防止板をキャビネットに取り付けることが理想です。それが難しい場合は、簡易的にひもを棚の前に張るなどして地震対策を取りましょう。
収納方法ですが、ガラス乾板を平置きにして重ねると下のガラス乾板に重みがかかり割れる危険性があるため、ガラス乾板は縦置きにすることが基本です。ただし、すでにヒビが入っている、または完全に割れてしまっているものに関しては、個別に平置きする必要があります。もうひとつ、写真プリントやフィルム、また光学ディスクはガラス乾板と同じ箱に収納しないように注意しましょう。これらは乾板の銀画像に影響を与える窒素酸化物を放出するためです。
取り扱う際の注意点
ガラス乾板を触る場合は、指紋、手の脂が乾板につくことを防ぐために、薄手のきれいな木綿の手袋を着用しましょう。
なるべく乾板の乳剤面(画像面)には触らないように、乾板の縁を持つように心がけましょう。ガラス乾板が汚れている時は、刷毛でやさしくホコリを払います。
そしてカビが発生していた時は、エタノールを混ぜた水でガラス面を吹きましょう。乳剤面(画像面)にはエタノール水溶液は使わず、刷毛で払うだけにします。
以上のような点に注意すれば、ガラス乾板の劣化を遅らせることができるでしょう。
ガラス乾板は電子化のメリットが大きい
ガラス乾板はきちんとした保存環境に置かないと劣化が進むことをご説明しました。そうした環境を維持するのは難しい、またはすでに割れてしまっていて取扱いができない、そういった場合はガラス乾板をスキャニングして電子化することをおすすめします。
最初に触れた通り、ガラス乾板は構造としては写真フィルムと大きな違いがありません。つまり写真フィルムと同じようにスキャニングして、撮影内容を電子化することができるのです。
ガラス乾板は、物理的に重たくかさばっていて、さらに割れやすいため、取り出すのも簡単ではありません。しかし一度電子化してしまえば、撮影画像を簡単にパソコンで確認することができるようになり、ガラス乾板を取り出す必要がなくなります。ガラス乾板自体を扱う回数の減少は、物理的な破損が起こる危険性を減らすことにもつながります。
そして何と言っても電子データにすれば、それ以上画像が劣化することはありません。ガラス乾板の劣化は時間が経てば経つほど進行してしまうので、なるべく早い段階で電子化することが重要になります。
電子化のメリットはそれ以外にも数多くあります。まず、すでに劣化が進んだり、物理的に割れてしまっていたりして、内容を確認することが難しいガラス乾板でも、スキャニングして電子化すれば、画像を加工してデータをある程度復元することができます。ガラスが割れていても、粉々ではなく、ガラスのピースがある程度揃っていればスキャニングは可能です。
写真データは出版物や電子書籍に使用することもできます。貴重な撮影情報の活用という点では、電子化のメリットが非常に大きいのです。
ガラス乾板のデータが数多くある場合は、データベース化することも可能です。検索による利便性も高まるため、必要な情報を求めてガラス乾板を一枚一枚取り出して中身を確認することがなくなります。オンラインやクラウドで共有すれば、誰でもその情報にアクセスすることができるようになります。
このように一般の書籍や写真フィルム以上に電子化のメリットが大きいと言えるガラス乾板。もしガラス乾板の取り扱いに悩んでいる場合は、電子化を検討してみてもいいでしょう。
ガラス乾板の電子化はご相談ください
当サイトを運営するそのままスキャンは、書籍から大判資料、絵画、フィルムなど様々な資料の電子化を代行するサービスです。今回ご紹介したガラス乾板は非常に取り扱いが難しいため、電子化を請け負っている業者は極めて少数ですが、弊社ではこの資料にも対応しております(料金は都度、仕様に応じて算出させていただきます)。
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